こんにちは、小野尾です。

あなたは親孝行をしてますか?

私は両親の誕生日や正月などは必ず実家に顔を見せに行くほかは、二、三ヶ月に一度程度は実家に顔を見せに行く程度です。

私の家から実家は車で一時間もかからないところなので、親孝行のためにもっと頻繁に実家に帰った方がいいかなぁとも思っています。

さて、親孝行といえば、「孝」の字が使われています。これには親を大事にするという意味があるのは、あなたにもおわかりですね。

でも、「孝」という時には、それ以外の意味もあるんですけど、知ってましたか?

もちろん私も知りませんでした。でも、ある本を読んだときに孝の意味が書いてあって、そのときに知ったんです。

「へー、そんな意味もあるのかぁ。言葉って深いなぁ」と思いましたね。

私が読んだある本というのは、安岡正篤先生の言葉を集めた「安岡正篤一日一言(致知出版社)」という本です。

東洋思想の大家、昭和の総理大臣の指南役である安岡先生の言葉を集めたものですから、深いことがたくさん書かれています。

その本に「孝」という字の意味が書いてあったんです。

それによると「孝」という字には、”単に親を大事にして、親に尽くすという意味だけではなくて、親子・老少、先輩・後輩の連続・統一”という意味も含まれているのです。

確かにそうですよね、

親を大事にしたり、親に尽くしたりできるのは、親あってのことです。つまり、親と子のつながりがあるからできる訳ですね。

そして、親と子のつながりは、親と子の血が連続していて、しかも同じ家系として統一されていることってこと。

だから、「孝」には連続・統一という意味も含まれているんですね。

まあ、親と子のつながりがなかったら親孝行にならないので、親孝行ができるのは親子関係が前提だというのは、当たり前といえば当たり前ですけど・・・

「なるほど~、いいことを知った、つながりは大切だ。親孝行をしよう」と、これで考えるのをやめるのではなく、もう少し深掘りできるので、さらに深堀りしてみましょう。

今度は「孝」に含まれている「連続」という言葉に着目してみましょう。

するとこんなことがみえてきます。

先輩・後輩と長者・少者の連続・連結の役目(同著)”を果たすのが「教育」だということです。

教育がなければ、人間関係の連続性がなくなってしまうということです。つまり、教育があるから親子関係も成り立っているということになりますね。

どういうことか??

親と子という関係は、生まれてすぐに感じられることですけど、それなら、きっと動物も同じことを感じているはずです。

人間と動物との違いは、親と子という関係性の意味を考えられるかどうかです。

親はその親から生まれ、その親もさらにその親から生まれています。これが繰り返されていきます。

仮に、どこかで親同士が出会っていなかったら、どうなるでしょうか?

その子が生れてきませんよね?親を生んでくれた親、その親、さらにその親なのかわかりませんが、誰かが生れてこなかったことになりますよね。

ということは、あなたも生れてこなかったということです。

つまり、両親が生まれ、出会い、自分を生んでくれたことは、ある種の奇跡でもあるわけです。

今自分が生きていることの偶然というか、ありがたさを感じられませんか?

そういうことを考えられるのが人間で、他の動物とは違うところです。こういうことは教育を受けることによってしか出てこないものです。

だから、親と子の連続性には教育が必要になるんですね。

親孝行が大切だというのは言うまでもないことですが、親孝行を考えるときに、自分の親にも親がいて、その親にも親がいて、ということを考えみてはいかがでしょうか?

親孝行をするときの気持ちが著った違ってきますよ。今までよりもありがたく感じられるのではないでしょうか?

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最後に原文をご紹介します。

教育とは何ぞやと言えば、つまるところは先輩・後輩と長者・少者の連続・連結の役目をなすものでなければならない。

要するに孝という字は、単に親を大事にして、親に尽くすという意味だけではなくて、親子・老少、先輩・後輩の連続・統一を表す文字である。

そういうことを知って『孝経』や『論語』を読むと、限り無い教訓がその中に含まれておることがよくわかる。
『安岡正篤一日一言(致知出版社刊)』